芯を込めて生きる 唯生きていては人や世の中のお役に立てません
今朝こんなことがあった
池の鯉がちょっと病気になった
巫女は朝一番で鯉の様子を観に行った
水面に顔がつくくらいに湖面から鯉を観察している
社務所に入って行くと即観察日記に書きこんでいる
大したもんだと感動した
一方その上司のA君は唯フラフラと池の周りを歩きながら
鯉見物の様なスタイル
この差が毎日の行動や姿勢に現われている
芯が入った生き方をしているかどうかの差だ
将来天地の差ができるだろうなと私は思った
巫女は何をやらせても相手の観点に立って行動する
鯉にだって命がある
そういう思いやりが観察ノートにまでなるのだ
A君は神社の業務を中心にものを考える癖がある
唯無難に一日が終わればそれでいいのだ
だから何をやっても型どおりで芯がこもっていない
お相手のことを考えないから神社ほど偉いものは無いという様な
上目目線で参拝者の皆様に話す
これは非常に宜しくない
神社の最終目的は形振り構わず人を救うことにある
これでは人様のお役にも世の中のお役にも立たない
朝から私に熱い灸をすえられた
叱って教えてあげるのも愛情だ
新しい人間的に進歩したA君になる様に見守ってあげたいと思う
一方巫女は養鯉場に電話をして鯉の治癒の経過を報告したり
薬や対処の仕方を聴いている
この行動力と知恵はそこらそん所の男性でも敵うまい
人間には天地の差ができて行くという勝海舟の言葉を想い出した
要はどれだけやる気があるかという本気度の問題だと感じた
白鳳神社 宮司 宮川吉弘拝
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