カトリック墓苑にて これが宗教というものか 感動
昨日の秋分の日
お彼岸の中日
親族達と共にお墓参りに行って来た
親族が多いからお墓がたくさんある
一つ一つのお墓に色々な宗派のお経をあげて歩いた
最後はいつもカトリックのマスールであった叔母の墓へ行く
カトリック墓苑の芝はいつも綺麗に手入れされゴルフ場の様に美しい
偉い方が多くの方達の前でマイクを片手に法話をしている
私達がお墓の掃除をしていると立派な包囲を着た方が
全ての御墓に聖水をかけて回っている
伴奏と共に讃美歌かが歌われ始めた
美しい
何と美しい光景なのだ
しかし私が一番感動したのは数えきれないだけの御墓全てに
聖水をかけて歩くということである
花をたむけられているお墓にも誰もお参りに来ていないお墓も
全て平等なのである
一方日本のお墓参りは自分達が勝手にしなさいという感じに思えた
宗教的に考えるとカトリックに感動を覚えざるを得なかった
私の神社も勝手に参拝して行きなさいという風に思われているかも知れない
これはよくないと考えさせられた
人間はそもそも平等なのである
神社に仕える者がもっと身近に感じられられなければいけないと思った
誰にも優しく
誰にも平等に
決して他の神社や仏閣の在り方を批判している訳ではない
私の神社の在り方と方向性を考えさせられた出来事であった
もっと人に温もりを与えられる神社でありたい
愛を与える神社でありたい
カトリック墓苑に眠っている叔母が教えてくれた気がしてならない
良いものはどんどん取り入れて行って人の心に沁み入る神社にして行きたい
そんな大きな目的が与えられた喜びに心が震えている
やれるだろうか
否やらなければならない
きっとできるさ
必ずやるさ
これが人のお役に立つと信じて
白鳳神社 宮司 宮川吉弘拝
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