ああ無常 死は待ってはくれない 順番通りにも行かない残酷性
先程まで葬儀場に居た
何故かしら昨年から今年にかけて周囲の人達が随分と亡くなる
私がまだ不遇の時から力を貸してくれた方々も無情にも散って行く
涙が止まらない場面もあった
こういう時に人は寿命という言葉で自らの心をおさめようとする
しかし私はこの世の残虐性を感じるのです
自然世界であれば早く咲いた花は早く散って行くでしょう
それなら心に折り合いをつけれる
しかし死というものは人間性にも関係なく年齢にも関係なく
襲って来るものだ
情け容赦ない仕打ちに「無情」を感じ
常でない世に「無常」を感じる
又一輪の花が散りそうだ
こんな時には天を恨みたくなってしまうこともある
あんなに一所懸命生きて素晴らしい人徳の方なのに・・・
生と死は隣り合わせと言うけれど私にはどうしても納得が行かない
だから霊山に登る
何かその原因や理論を解明したくて
幼少からの私の疑問は実は19歳の時に解明されている
余命3ヶ月の宣告を受けて人たちが今でも多く元気に生きている
生き証人はたくさんいる
だから寿命なんて無いというのが私の持論である
死神との遭遇もあった
しかし魔などではなかった
れっきとした神であった
話せば分かる
人間は必ず息絶える時があります
しかし命を延ばすことは90%以上の確率で出来ます
それは私の経験上言い切れますね
それと私の神社の信者さん達を見て下さい
一人として不幸にはなっていない
みんな元気で長生き
幸せいっぱいですよ
その方程式はいとも簡単で命を下さる神にお願いすればいいだけです
死神とお話でもして下さっているのでしょうか
命を恵んで下さる神との対話
それは壮絶な修行を経て一歩間違えば崖から落ちる
死を覚悟してこそそこの場所に行ける
その対話の後に戻った人はいないという伝説がある
私はなにくわぬ顔で戻って来ているではありませんか
そこに神の大きな愛を感じるのです
明日死ぬのは我が身かといつも思いつつ・・・
白鳳神社 宮司 宮川吉弘拝
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