『立つ鳥跡を濁さず』 人間は『後ろ足で砂をかける』
私は決して人間嫌いではない
人間を最も愛すればこそ その生き方を問うのである
こんな小さな野鳥でさえ飛び立つ鳥は跡を濁さない
ほんの少しの餌を求めて大きな害も及ぼさず人の心を
癒してくれる
それに比べて人間は罪深い生きものである
そこには人間本来の霊性は失われ霊長類たるべき威厳は
既に崩壊してしまっている
本能のままに生きて平気で人を傷つけ欺いても
何とも思わない
謙虚だとか恩を感じるとか感謝の気持ちも全て上辺である
マクドナルドから電話をかけてきて「今回の合格ありがとうございました」
とぶっきらぼうに言う
入学が決まる前までは母親と共に何とかお願いしますと
さめざめと泣くのである
「あ~ 君が頑張ったからだよ」
「今マックで昼食中だから(口に食べ物を頬張りながら)・・・」
ガシャンと電話が切れた
親からは勿論一報も来ない
有名校という名をとれば人なんてどうでもいい
恩も感謝も関係ない
こんな人間がここ十数年増加の一途である
親の過保護が原因だろう
本人が挨拶にも来ないで親は無視
よくてメールの走り書き
就職にしても出産にしても病気を治すことに走り回っても
そこには本人の姿はない
全て親の短いメールで全てが終了する
「宜しくお願い致します」 「どうもありがとうございました」
幼稚園生でも言うのに今の飽食の時代 何かを利用すればいいという根性
どうしてしまったのだ日本人よと叫びたくなってしまう
この人間腐敗がどこまで続くのか不安でたまらない
しかし私の人間講座に人が増え始めて来たことに
一筋の光明が差すのである
どうやら優秀な人間も多くなってきたようだ
気のせいではないようにと願いは募るばかりである
白鳳神社 宮司 宮川吉弘拝
« 大きな運を逃す人 大きな人を失う人 大きく救われる人の差とは | トップページ | 函館はもう福寿草 貴女の人生も春に・・・ 辛い過去にさようなら »
「日記・コラム・つぶやき」カテゴリの記事
- 喧噪の中で凛と生きる (2017.03.12)
- 『花便り 菖蒲編』 ~巫女綴り~(2015.06.28)
- 神社にお越しの際は予約を入れて下さい 陰陽道(2017.01.03)
- 薄荷(はっか)の日 北の国から爽やかに ~巫女綴り~(2015.06.20)
- 境内咲いたに純白の芍薬 ~巫女綴り~(2015.06.17)