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2014年2月25日 (火)

『立つ鳥跡を濁さず』 人間は『後ろ足で砂をかける』 

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私は決して人間嫌いではない

人間を最も愛すればこそ その生き方を問うのである

こんな小さな野鳥でさえ飛び立つ鳥は跡を濁さない

ほんの少しの餌を求めて大きな害も及ぼさず人の心を

癒してくれる

それに比べて人間は罪深い生きものである

そこには人間本来の霊性は失われ霊長類たるべき威厳は

既に崩壊してしまっている

本能のままに生きて平気で人を傷つけ欺いても

何とも思わない

謙虚だとか恩を感じるとか感謝の気持ちも全て上辺である

マクドナルドから電話をかけてきて「今回の合格ありがとうございました」

とぶっきらぼうに言う

入学が決まる前までは母親と共に何とかお願いしますと

さめざめと泣くのである

「あ~ 君が頑張ったからだよ」

「今マックで昼食中だから(口に食べ物を頬張りながら)・・・」

ガシャンと電話が切れた

親からは勿論一報も来ない

有名校という名をとれば人なんてどうでもいい

恩も感謝も関係ない

こんな人間がここ十数年増加の一途である

親の過保護が原因だろう

本人が挨拶にも来ないで親は無視

よくてメールの走り書き

就職にしても出産にしても病気を治すことに走り回っても

そこには本人の姿はない

全て親の短いメールで全てが終了する

「宜しくお願い致します」 「どうもありがとうございました」

幼稚園生でも言うのに今の飽食の時代 何かを利用すればいいという根性

どうしてしまったのだ日本人よと叫びたくなってしまう

この人間腐敗がどこまで続くのか不安でたまらない

しかし私の人間講座に人が増え始めて来たことに

一筋の光明が差すのである

どうやら優秀な人間も多くなってきたようだ

気のせいではないようにと願いは募るばかりである


白鳳神社 宮司 宮川吉弘拝 


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