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2014年3月 8日 (土)

苦労もしていない者に何が分かる 

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『艱難汝を玉にす』という古からの諺がある

人間とは原石である

それをどう磨くかによって人間の重厚さと輝きが出る

私はよくそれを『人間の年輪』と表現する

日本の諺にも『苦労は買ってでもすれ』という言葉がある

しかし私はちょっと違う角度からいつもそれを解釈している

それは幼少からの人間教育と見つけたり

我が子が可愛くない人などいないだろう

しかしそこでやや厳しくもきちっとした教育をされて育った人間と

猫可愛がりに甘やかせて育った人間がいる

当然天地の差ができる訳である

しかしきちっとした教育を受けた人間はぶれないし理解力がある

甘やかされて育った人間の親を見てみますと

親も甘やかされて育っていることに気づく

又あまりにも苦労したのでこの子だけはと甘やかせてしまう

誰かに甘えればいいという依存心ばかり大きく厳しい人間に遭うと

どうやら拒否反応を示すようだ

要はちやほやされたいのだ

しかし世の中はそんなに甘くはない

荒波である

どこからか聞いた様な言葉の羅列

「いばらの道も 笑みをたたえて」なんて言葉だけ聞いて育つ

それはまるで雲をつかむ様な標語にしか過ぎない

本当の教育とはやってみさせることである

その本人にとってみれば甘やかされた体験と褒められた体験しか

ない訳だからそれ以外をとんでもない人間だと罵るのだ

しかし真実は全くの逆である

そういう教育を受けたその人こそが犠牲者であるということを

認識しなければならない

苦労を知らないから相手の痛みも苦しみも全く分からないのである

相変わらず親からの押し売りの素敵な言葉の羅列の標語ばかりを

振りまわして自分を正当化しようとするが世に中の目も厳しいものだ

「論外である」と多くの人達が侮蔑し始めるのだ

どこかの宗教の回し者かと疑われる

苦労は人間の心の豊かさと大らかさ

人の痛みや苦痛が分かる人間にしてくれる

だから私はいつも言い続ける

多少は苦労しておいた方が人間魅力的になるよと・・・

どうだい

やっぱり人間は味があった方が魅力的じゃないかい?


白鳳神社 宮司 宮川吉弘拝 

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