『敬天愛人』 私の座右の銘 人を相手としては生きていない
全国の信者さん達には聞き慣れた言葉
西郷隆盛の遺訓である
私はその言葉に惚れこんだ
繰り返しになるが新しく読んで下さっている方達も多い
そこでちょっと解釈をしたい
<読み方>
敬天愛人・・・けいてんあいじん(天を敬い人を愛す)
<意味>
人を相手とせず天を相手とせよ
天を相手として己を尽くし
人をとがめず
我が誠の足らざるを尋ぬべし
詳細は割愛させて頂く
人間は人と相手として生きるから苦しむのである
憎しみや妬み僻み
遂には相手の不幸を願うまでになってしまうのである
煩悩三昧の醜い姿になってしまう
とは言いながら私も人間社会で生きている
人を相手としないで生きて行く訳には行かない
しかし心の置きどころが違う
心は天に在り
人に尽くし真心で接する
しかし通じない相手も多いのが現実である
その時に天を相手として生きていれば相手を哀れに想う心が
そこにはある
それ以上関わりを持たなければいいだけだ
しかし今一度天に尋ねてみる
我が心に尋ねてみる
何が自分に欠けていたのか
何が足りなかったのか
天は言い放つ
お前は人間を相手にしたということ自体が間違いだ
人間という愚かな存在に心を奪われたのだ
だから毎日天を相手として生きなさいと・・・
今日も天を相手に生きて参ります
いや 一生涯・・・
白鳳神社 宮司 宮川吉弘拝
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