忙し過ぎると世の中が見えなくなってしまう 「のりしろ」
人は急ぎ過ぎて生きている
東京に行くとよく感じることだ
そこに着くと足音が速過ぎる
けたたましい電車の駅のベルの音
「どうぞお先に」なんていう暇もなく人の速い流れの中に組み込まれた
小さな歯車の様な感じがする
忙しく日々を送る人達
幸せな顔に会うことは少ない
みんな眉間にしわを寄せて忙しく生きている
私には分からない
そんなに急いで生きて立ち食いステーキ
そんなものまで出現している
車に乗るとよく分かる
スピードを出せば出すほど視界が急に狭くなる
景色なんて見てなんかいられない
あれと同じ現象だ
何故みな死に急ぐのだ
年輪も重ねぬ内に人生を味わいもせずに何故死に急ぐのだ
「のりしろ」という言葉が日本にはある
簡単に言えばめいっぱいにならないような遊びの部分だ
余裕をつけておかないと紙なら紙で張り過ぎて破れてしまう
それを防ぐために「のりしろ」という言葉が発祥した
福寿草
自然界には無理に生きる構造は森羅万象一つもない
みんな風に吹かれても雨が降っても微動だにしない「のりしろ」で
形成されている
何も見えなくなった秒単位の人生に陥るなかれ
私も東京育ち
そういう経験ばかりして世の中が見えなくなってしまった時がある
自然に触れてみるがいい
雄大な気持ちになれる
世間も総体的に観えて来る
相手の心も観えて来る
そして一番忘れ去られていた自分自身が観えて来る
何を食べても美味しい
水を飲むだけでも美味しい
心にゆとりができたからだ
「のりしろ」の勧め
如何であろうか
白鳳神社 宮司 宮川吉弘拝
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