守りは老いの証拠 いつまでも挑戦と破壊と構築と
お爺ちゃんの様に子供を可愛がる
今お金になる仕事が舞い降りて来たのに家庭が大切だからできない
家の修理ばかりに気を取られている
過去の経験ばかりを自慢げに言って満足している
新しい取り組みをしようとしない
新しい発想が無い
何かに挑戦しようとも思わない
これらは老いの証拠である
老いにしか見えない
守りは新しいものを生み出さない
そこが人生の終末
若いということは守りよりもちょっと無謀に見えるくらいの
挑戦力である
芸術で言えば破壊と構築である
芸術に本当の完成はないと言う
作っては壊し作っては又壊し
振り出しに戻ってばかりだ
しかしそれを克服しようと破壊と構築を繰り返すのだ
年齢ではない
守るということは人生挑戦の連続である
守るためには破壊を恐れてはならない
又構築するという覇気が無くてはならない
守りに入るということは走ることを忘れた状態である
何もかもをそっとしておきたいのだ
そっとしておいたものや事象は驚くべきスピードで腐敗して行く
腐敗を防ぐためには走り続けなければいけない
そう
守った時点で誰もが老人となる
白鳳神社 宮司 宮川吉弘拝
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