『終戦記念日』 そこには何もなかった・・・ 三島由紀夫
終戦の時に文豪三島由紀夫は実家にいたと言う
敗戦を知らせる『玉音放送』を聞いたその時に彼はこう思ったと
述懐している
そこには何もなかった
唯セミがうるさいほどに啼き空も庭の景色も何も変わっていない
ちゃぶ台(居間のテーブル)が目の前にあるだけで何も変わっていない
もっと劇的な何かがあるのだと思っていた
しかし何も変わっていない
三島はこの時点で戦争の何たるかに肩透かしをくらった
『大義』という言葉も失ってしまった
平和とは何か死生観も全て肩透かしをくってしまったのである
空虚な心の三島はリルケの言葉を引用している
『人間はこれから大義というものはなく まるで蜂の巣の細胞が
朽ちる様に人間は死んで行くだろう』
今日は終戦記念日だ
しかしそこには漠然とした空虚な「戦争があったんだ」という
あまりにも虚しい想いしかないのではなかろうか
今の大都会の中に生きている人達が焼け野原の東京を
映像などでも見る機会もないだろう
時が過ぎて忘れ去られて行くものがたくさんあるのは仕方のない
ことかも知れない
しかし三島由紀夫という人間を通じて私は思うのである
戦争の残虐さを誰も知らない
焼け焦げた死体をまるで物体を扱う様な冷酷さも知らない
日本人の国を守るための精神や死も知らない
唯いつもの様に何も変わらぬ日常を送るのである
虚し過ぎないか
虚し過ぎるであろう
神社宮司として一言だけお願いしたいことがある
先人の艱難辛苦を偲んで黙祷だけでもして頂きたい
私の切なるお願いである
先人達が国や家族を守ろうとして玉砕した心を想えば・・・
白鳳神社 宮司 宮川吉弘拝
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