『波乱万丈』 長く辛い道 それが人生というもの 神を求めて
我がままで自分中心に生きて自分の考えを譲らず他人の心も
考えれない傲慢な人間
それは自業自得で苦しんでいるのでしょうから対象外と考える
さて人生とはあまりに波乱万丈であります
苦難苦難の連続で台風の海に枯れた葉っぱが一枚
そういう表現の方が分かりやすいかも知れない
どこまで続いているのか分からないいばらの道
いつ終わるとも知れない心の不安
人間はそういう中で生きている
何故自分だけがそうなんだろうと悩むのですが誰しもが
形こそ違いますが同じ気持ちで生きているのであります
長く辛い道
まるでそれはトンネルの中から抜け出せない恐怖にも
似たものであるかも知れない
それに耐えられず助けを求めて宗教なぞに人はすがるのでしょう
しかし私はすごく単純なことを苦難の中で考えたのです
神は本当に実在するのか
神がいるとしたら何故救わないのか或いは救えないのか
真っ直ぐにそういうことに大きな疑問を感じ17歳から山岳に
答えを求めに行ったのです
勿論色々な勉学を重ねた上で
その時も今も宗教には関心がない
直接の神や仏に興味があったからです
それは壮絶な修行でした
お釈迦さまではないですが骨と皮になって荒行をしたものです
冬の岩木山では自衛隊の訓練とぶつかり入山許可の有無で
大変叱られたこともありました
何せこちらは白一枚ですから早く下山しなさいという方が
正しいことです
それでも下山しないで修行を続けました
頑固だったのですねぇ
今は庭の手入れに追われて汗を流しながらも全国に信者さん達がいる
TVでもラジオでも新聞でも雑誌でも随分紹介されて全国区の神社に
なってしまいました
何故ならそこには宗教など存在しないからです
私は山で悟った人間形成に力を注いでいます
暗闇から抜け出す方法
辛い道を転換して幸せ多き道への転換
二人三脚でみんなと一緒に歩む
これが私の得た人を救う方法です
人が人の痛みを一番よく分かる
人と人が力を合わせれば叶わないことなんかない
みんな幸せにならなければならない
そういう中で神を祭って行く
それが私なりの神社観です
神や宗教に頼る前に先ずは自分でやることが探せばいっぱいあります
そして正しい誠実な心で神と相対する
神ありきではなく自分力を高めて行く
それが先決です
何かに頼る前に自分を頼れ
それでも駄目ならヒントがいっぱいある建物
それが神社だと言ったらおかしいであろうか
小さな社殿が全国の人を救っている
まるで家族のように助け合いながら
支え合いながら
剣豪 宮本武蔵は言っている
『神を尊び 神に頼らず』
先ずは自分の底力を試してみては如何であろうか
それでも解決できなかったら私でよければ相談には乗れます
こういう精神ですからちょっと厳しいですがね・・・(笑)
白鳳神社 宮司 宮川吉弘拝
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